定年間近の部下とのコミュニケーションに悩む課長さん(その1)~コーチングをはじめて受けるクライアントとのスタートに築く信頼関係の重要性を知る~

水野さんは生産管理部で生産管理課長をしていますが、一年後に定年退職者が出ることから、沈み込んでいました。
社内に、困ったときに相談出来るコーチングを受けるシステムがあることは知ってはいましたが、それは自分で解決出来ない者のお助け制度のようなものであり自分には関係ないものと思っていました。水野さんは困ったことがあれば部長に相談するぐらいで、普段は、出来るだけ自分で解決をするように努力していました。

課長としての大きな課題は、ベテランと若手の技術力の差を解消すること、部下育成に努め若手に技術力をつけさせることです。会社としても大きな課題であり、そのためにはベテランの社員の若手に対する技術伝承がぜひとも必要になります。一年後に定年を迎えるベテランの協力がどうしても必要だったんです。この定年退職予定者は、社内では口数少なく、黙々と仕事をこなしており、いわゆる職人気質であり、仕事中は声をかけづらい雰囲気を持っているため、なかなか仕事の手を止めさせてまで切り出すことが出来ませんでした。

「コミュニケーションがうまく取れないから、俺は職人として成功したんだ。仕事は人から頭で教わるものではなく、体で覚えるものだ、俺もそうやって先輩の技を盗み取ったんだ」という本人がいつも言っている言葉に一応は納得してはいますが、それでは困ると水野さんは考えています。

なかなか頼みにくく、先送りしている間に、日にちがどんどん過ぎて行きます。
残り時間はわずか1年、このまま定年を迎えられては困ると思って、毎日のように「最後のお勤めとして、会社に貢献してほしいんですが・・」と何度も依頼するようにしました。その都度、「わかりました。努力してみます」と返事が返ってくるにもかかわらず、なかなか後輩の指導をしないこの部下に、このごろでは毎日イライラしている自分を感じています。
水野さんのイライラは仕事ぶりにも現れ始め、ちょっとしたことでも部下を叱りつけてしまうようになりました。
そんな水野さんを見かねた生産管理部長は「どうしたんだ、水野くん、最近随分イライラしてるみたいだな。水野くん、何か仕事のことで心配事があるんだったら、会社で委託しているビジネスコーチに相談してみたらどうかね?君がそんなにイライラしていると、部下との間の信頼関係が壊れるのじゃないかね?」と、注意してくれました。

水野さんは「部長こそ、自分の話をもっと聞いて、具体的なアドバイスをくれたらいいじゃないか? この問題は、会社全体の問題であり、私だけが考えるべき問題じゃないのに・・・」と、内心大きな不満を感じましたが第三者の冷静の意見を聞けば何か参考になるかもしれないと藁にもすがる思いでコーチのいる部屋を訪ねました。

「はじめまして水野さん。コーチングルームを初めてお訪ねいただきありがとうございます」にっこり笑顔のコーチを前に、水野さんは、「この人がコミュニケーションのプロなんだな。やけに愛想がいいけど、いったい何なんだ、この人は。部長が相談することを勧めたから来てみたんだが、部長から何か聞いているのかな。部長はいったい何を吹き込んだんだ?」と懐疑的な思いを抱きながら、勧められる椅子に腰を下ろしました。

「水野さんにお聞きしますが、率直に言って、今、この瞬間の出会いにどんな印象をもたれましたか?」というコーチの質問に、水野さんはドキっとしました。一瞬、自分の心を見透かされたような気がしたのです。
「はぁ、いえ、あの・・緊張しています」、嘘ではないが、自分の心の中を見透かされないようにと、自分の心がよろいをまとっていることを強く感じながら水野さんは答えました。
「そうですね。とても緊張しているみたいですね。もっとリラックスすることをお手伝いしたいのですが、何か私に出来ることはありますか?」
優しいコーチの言葉に、本当のことを言ってもいいのか?と一瞬戸惑いを見せた水野さん。これまで、職場での愚痴や相談事は、極力話さないように努めていた水野さんは、何をどう話していいのかわからなかった。と、同時に、この話をすると、部長はじめ社内にもれていくのではないかと思うと、気が気ではなく、汗ばかりが流れるように出てしまうようでした。
「・・・・・・・・・」
「初対面のコーチに『何か私に出来るものはないか』と聞かれて、何を言えばいいのかお困りのようですね。私もちょっと先を急ぎ過ぎました。私のほうから少しお話をしますね」
「社内のコーチングルーム、会社のやとったコーチということで、自分の話すことが、会社にもれるんじゃないか。会社にもれて、そんなことも一人で解決出来ないなんて、管理職としては失格だと失格者の烙印をおされて出世にも響くんじゃないかとご心配ですか?
そんな心配は無用ですよ。まず、私は人のことを別の人に面白がって話すことはしない人間です。それから、これはコーチとしての職業倫理ですが、コーチは医者や弁護士と同じように、依頼者のことを他人に話をしてはいけないものです。これは、たとえ私が会社に雇われているとしても、同じ事で水野さんの了解なしには、絶対に口外しませんから安心してください」
コーチは、コーチの職業倫理を話し、また、どんなことをテーマとしてもいいとゆっくり話すことで、水野さんをリラックスさせようと援助してくれています。

「私は、相手に対しては一生懸命にやるほうです。これは、相手が人間だろうと花だろうと同じです。土日は小さな庭でガーデニングっていうんですか?庭いじりをしてまして、花と花との間が開いていたりすると、つい寂しいだろうからと思って、その間を他の花でうめてしまうんです。花たちが小さいときはいいんですが、育ってくるとジャングルになってしまって・・・・。育つスピードも違うし、大きくなると十センチ足らずものもあれば一メーターにもなっちゃうものがあって、もうめちゃめちゃになってしまいます。注意しないとほんとうにダメですね・・・」

このごろガーデニングに凝っていて、花を見るとついつい手が伸びるが、自分を戒めないと、脈絡のない庭になってしまうと笑いながら話すコーチの姿に、水野さんは、自分も庭いじりには興味があると、いつのまにか、庭の手入れの話に体を乗り出すように話し始めました。

「そうですね。私も同じような失敗をよくやっています。蝶々がきて卵を産むようにと、バタフライガーデンっていうんですか、みかんの木を沢山植えて、蝶々の幼虫を育てていたら、近所のみかん農家の人から、あなたの所は害虫を育てているのかと怒鳴り込まれたこともありましたよ。ガーデニングも自分勝手ではダメですね」

頃合を見計らってコーチは、「水野さん、職場でこんなふうに、趣味の話で盛り上がれる部下はいますか?」と、切り込みました。


竹内 和美

竹内 和美 (たけうち かずみ)
エイジング・アドバイザー®/世渡り指南師®/プロフェッショナル・キャリア・カウンセラー®/認定キャリア・コンサルタント/認定エグゼクティブ・コーチ
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