損保会社の調査員としてキャリア三年の東さん~上司とのコミュニケーションミスがきっかけの転職~

当初は、契約者の負担をわずかでも少なくし、また、被害者の方にも納得いただける調査をする契約社員として実績を上げてきましたが、仕事にも慣れてきた二年目を過ぎる頃から、この仕事が本当に自分に向いているのか、疑問を持つようになりました。三年目に入った春ごろから、上司から指示された調査を深くせず、あれもこれもと仕事を抱え込んだり、お客様への説明にも力が入らなくなったり、このままでは、正社員としての契約を結ぶことは出来ないと、上司から引導を渡されてしまいました。
東さんが、コーチングを知ったのは、Webの情報検索からで、藁にもすがりたい思いから、何か解決の方法がないかを探ったからだといいます。

「1年目と二年目、そして現在と、東さんの中で何が変わったんでしょうか?」
唐突かな?と思いながらも、少しでも早く状況を把握するために、コーチは率直な質問を早い段階で投げかけました。
東さんは、「うん・・・、言いたいことをはっきり言えなくなったということが一番大きな原因だと思うんです。実は・・・」

「実は・・・って何か思い当たることがあるんですね」
「・・・・・・・・・・」

「言いづらいことなんですね。どうしてもお話したくないことは、無理に話さなくてもいいんですよ」というコーチの表情に、東さんは意を決したのか、大きく息を吸って話し始めました。
「上司が変わってから、なんていうか・・コミュニケーションがうまく取れなくなったって言うか、報告はまだ出来るんですが、相談したいなぁと思っても、うまく話せなくて、いつも上司に答えを先に言われてしまうんです。それも、自分が考えているのではなく、その上司のこれまでの経験から答えがわかっていると言わんばかりの態度・・・、最初から、何だろう・・決まっている答えを聞きにいくだけで、それが自分の考えと違う答えだから、よけい混乱するし、第一真似をしろって言われても、出来ないんですよね。だから、相談出来ずにいたんです。そうすると、だんだん、報告するのも億劫になっちゃって・・・」
暗い表情で、東さんはボソッと答えてくれました。

「上司が変わったのはいつですか?」
「二年前の春の定期異動です。女性なんです」

「どんな上司なんですか?」
「今の上司。とてもすてきな人ですよ。結婚していらっしゃって、家事や育児と両立されている。女性にありがちな感情の起伏も激しくないし。キャリア・ウーマンって感じかしら。
でも、だから、すっごく近寄りがたいって言うか、別の世界の人って感じで私たちを見ている気がするんです。女性社員が固まっておしゃべりしていても、脇をスっと黙って通り過ぎられ、おしゃべりに加わることがない。
かといって、私たちに興味がないわけではなく、飲み会しようかとご自分から誘ってくださったりもします。みんなは、いい人だね、付き合いやすい人だねって言うんで、ますます、自分がどうもあわないみたいとは言い出せなくなってしまいました」

「なるほど、みんなと受けた印象が違うだけに、言い出せなくなってしまったんですね。でも、それと上司への報告をしないということは、別の問題だったように思いますが、改めて考えてみて、報告の義務を怠ったことについてはどう思いますか?」
「たしかに、契約社員としては失格だと思います。ただ、上司は選べないから、あわない上司と出会った場合、どうしたらいいか、そんな経験もなかったので負けず嫌いがでたというか、自分だってそれぐらい報告して指示を仰がなくても出来るって小さな抵抗をしてみたというか、悪気はなかったんですけれどもね・・。
深く考えずに行動した結果が、正社員としての採用を見送られることにつながるとは思っていなくて・・・。取り返しのつかないことをしたなぁと、後悔でいっぱいです」

「後悔でいっぱい。あなたがとても辛い気持ちでいることが理解出来ます。東さんがいま、一番解決したいことはなんですか?」
「残りの契約期間を少しでも楽しく働くために、もう一度、上司との関係をやり直してみたいんです。でも、どうしたら良いか分からなくて」

「上司と仲直りをしたいということですか?」
「いや、仲直りではないですね。信頼される部下となって、仕事をしてみたいです。彼女のように出来る女性になれたら良いですね」

「ロールモデルとなる人なんですね?」
「ええ、そうですね。ロールモデルとしてみればよかったんですね」

「上司との関係をやり直しするために、今、あなたには何が出来るんでしょうか?」
「うん・・・難しいですね、私への信頼感がないわけですからね。どうしたら信頼を取り戻せるのでしょうか?」

「どうでしょう。本当に信頼感はなくなっているんでしょうか?」
「うん・・・聴いたことはないですけど、自分が上司だったら、信頼しませんよ、こんな部下」

「そうですか。あなたがとても残念な気持ちでいることが痛いほどに伝わってきます」
東さんは、初めてのコーチングのセッションのあと、こんなことをつぶやきました。
「もっと早く、自分の気持ちを打ち明けていたら・・・。話を真剣に聞いてもらうことでこんなに楽になれることを知っていたら・・・」

この一年を待たずして、東さんは転職していきました。コーチングのテーマも、上司とのやり直しから、転職に変わっていきました。どんなに計画を立てても、どんなに目標を見直しても、その会社でのやり直しの方法も、勇気も見出せなかったからです。
目標を立てても、実行に移せない。目標があるだけに、行動出来ずにいる自分を引け目に感じてしまう。
目標を立ててそれに向かって行動していく。そのために今の自分に不足していることは何か。それを克服する手段はあるのか。どんな方法で行うか。自分でそうするつもりがあるか。目標・ビジョンを考えて前に向いていくことは、とても大事なことです。しかし、時によっては、目標を修正して新たな目標に向かってすすむことも、選択肢の一つなのです。
今回の事例を読まれて、東さんが自分の非を認めることによって、十分にやり直すことが出来る。転職などそう簡単には出来ないのだから、今の会社でやり直すべきだ。私ならそうするし、私がコーチならそういう方向に導く自信があるとお考えの方もいらっしゃるでしょう。しかし、コーチの気持ちを押し付けるのがコーチングでしょうか。クライアントを支援するのがコーチの役目なのです。
この場合、「上司とのやり直し」に向けて支援するのもコーチングですし、「転職」に向けて支援するのもコーチングです。最終的にそれを決めるのは、クライアントである東さんだということです。
思い切って目標を変えることで、自信を取り戻した東さんは、新しい職場に馴染むまで、コーチングを続けようと決心しています。


竹内 和美

竹内 和美 (たけうち かずみ)
エイジング・アドバイザー®/世渡り指南師®/プロフェッショナル・キャリア・カウンセラー®/認定キャリア・コンサルタント/認定エグゼクティブ・コーチ
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