営業に異動して悩んでいる清水さん~不平不満を提案に変える~
清水さんが営業チームのリーダーに任命されたのは、九月1日のことでした。
これまでは、技術開発員としてキャリアを積んでおり、会社からの異動辞令には「どうして?」という気持ち以外には感じることがなかったそうです。確かに、これまでも営業に同行して、お客様へのプレゼンテーションなどの際には、補足説明をし発注につなげるなど、売り上げ拡大に貢献していた実績はあります。しかし、どちらかというと口も重いほうだし、人と話すのは苦手でそれだから人と話をしなくてもいい技術開発を仕事として選んだというような意識もあり、自分に営業など勤まるのだろうかととても悩んでいました。
そんな時、営業部長の都築さんに食事に誘われ、仕事のことでハッパをかけられるのはイヤダなと重い心を引きずりながらも、同行することにしました。
しかし、都築営業部長は、もともと人事部で長く社員教育に携わっていた人で、自分と同じように、営業との関連が薄い中での異動を受けた人ですが、営業にうつってからは、かつてないほどの高い成績をあげている社内で有名な人です。他部署から異動してきて、全く新しい仕事をきちんとこなされている都築さんから、何かしら自分のこれからのヒントでももらえれば無駄な時間になることはないな、そう思うことによって、なぜか清水さんにとって都築部長のお誘いはいやいや同行するということでもなくなりました。
「まあまあ、お疲れさん、慣れない仕事で気が張っておられると思って、今日はねぎらいたくてお誘いしたんですよ」。
開口一番、都築部長から清水さんの心の中をかいま見たかのような挨拶を受けた清水さんは、少しびっくりしたということでした。
「部長も、営業はあまりご経験なくして部長を拝受されたとのことですが、お困りのことはなかったんでしょうか?私は、未だに『なぜ私が営業チームのリーダなんだろう?』と思っているだけで、会社に対しては、不信さえ感じています。私は技術開発員としては失格だったんでしょうか」
「清水さんは、この人事に何を感じておられるのですか?会社への不信だけですか?」
「いやぁ、そうではありません。ただ、会社からの期待を感じれば感じるほど、自分の能力に不足を感じるんです。そうなると、この人事を恨む気持ちも強まってくるんですよ」
「なるほど、ご自分の能力と会社の期待の高さが比例していないと感じているわけですね?」
「ええ、そうです」
「では、清水さんは、会社から何を期待されていると感じているんですか?」
「そりゃ、もちろん、営業成績をあげること、売上と利益の向上でしょう。都築部長だって、それを望んでいらっしゃるからこそ、こうして私を食事に誘ってくれているんじゃないんですか?異動して二ヶ月もたつのに、どうして清水は自分から積極的に動かないんだろうと、ほんとうは思っていらっしゃるんじゃないですか?」
「自分の気持ちを何とか前向きにしていこうと思うだけで精一杯で、営業チームのリーダーとして部下と接する余裕など全くありませんよ」
「部下と一緒にお客様まわりをしていても、お客様と部下との会話を横で黙って聞いているだけで、こんなことでいいんでしょうか」
「力不足をどうやって解消していけばいいのかわからないんですよ」
「やりながら覚えるといっても、営業で失敗して大きな穴を開けるようでは、大変ですし・・・」
「そもそも、私は口下手ですし、人に説明するのは向いていないんですよ。ほんとうに誰が見てもミスキャストですよ。今回の人事は・・・。会社は私に営業で何をしろと言うんでしょうか。もっと適任がいるはずですよ。部下だってそう思っているみたいだし・・・」
清水さんの不平・不満は、どんどんエスカレートしていきます。都築部長の質問に答えれば答えるほど、自分が不平・不満を感じていることに気づいてきました。しかし、それと同時に都築部長は一切、その不平や不満を口にする清水さんの発言をやめさせようとはせず、むしろ、どんどん吐き出させるように、清水さんの発言の全てを認めるようなあいづちをうってくれていました。
三十分もじっくり話を聞いていただいたころでしょうか?都築部長は、穏やかに清水さんに質問をしました。
「どんな人でも最初から営業のプロって人はいませんよね」
「会社は清水さんのことを適任だと考えて起用したわけです。もちろん、最初から全部出来るとは思っていません。次第にプロになられるだろうと思っているわけです。一方、清水さんはミスキャストだとおっしゃる。それでは清水さん、清水さんの今の不満を、提案として訴えるとすると、会社にどんなことが言えると思いますか?」
「会社に提案ですか・・・」
清水さんは、とっさに答えることが出来ませんでした。(「私は一体どうしたいんだろうか。不平・不満を言っているだけでは、解決にはならないし・・・会社への提案は特にありません というのも違うような気がするし・・・どうすればいいんだ」)
都築部長は続けて静かにおっしゃいました。
「人はミスを犯したくないものです。それゆえ慣れた仕事をしたがるものです。慣れた仕事から、新しい慣れない仕事に異動させられてしまうと、それが不平・不満につながるわけです。不平・不満は、誰でも持っています。それは自分にとっての『問題』ということです。『問題』を『問題』のままで終わらさないで、自分のこれからの『課題』として、取り組むことが大事だと思います。不平・不満を持つこと、それはさらに自分を成長させるチャンスなのです。
不平・不満のまったくない部下などは、私は信頼しません。不平・不満は、向上心の現れです。
私は、部下の不平・不満を、提案に変えるスキルを持つことも、上司の役割だと思って、コーチングを勉強しています。もしも清水さんが自分の営業能力の不足を不安に感じていて、それが会社に対する不平・不満になっているのだとすれば、自分に必要な学習をして能力開発することを提案しますが、よろしいですか?
私はそうやってきました。このやり方をやられるかどうかは清水さんが決めることです」と、都築部長は力を込めてお話くださいました。
清水さんは都築部長の話を真剣に聴くことによって何かを感じたそうです。
清水さんは自身の不平・不満と真っ向から向き合い、同時に部下の不平不満にも付き合う覚悟で、次の日に出社しました。
竹内 和美 (たけうち かずみ)
エイジング・アドバイザー®/世渡り指南師®/プロフェッショナル・キャリア・カウンセラー®/認定キャリア・コンサルタント/認定エグゼクティブ・コーチ
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