定年間近の先輩に対するお世話になった後輩のコーチングその1~後輩の言葉に不安になった定年間近の先輩社員~~定年後の生活を考直す~

この道一筋四十年。
板金工として、まじめにこつこつ一生懸命仕事をしてきた山崎さんは、後二ヶ月で定年退職です。
精一杯、会社にご奉公したという満足感と、いや、後を託す後輩に自分の技術の伝承が出来ていない時間は二ヶ月しかないと、あせる気持ちが交錯し、ついつい後継者に辛く当たってしまいます。山崎さんは、会社の再雇用制度には手を上げず、退職後は、ゆっくり奥さんと旅行でもして過ごそうと考えているので、残り二ヶ月がとても短いものに思えてならなくなってきました。
今日も、後輩の鈴木課長の失敗が許せず、大きな声で怒鳴ってしまったことを後悔していました。
自分たちが育てられたときには、「ばかやろう!何やってやがる」「一回聞いたら分かるはずだ。何度言ってもわからんのは、根性が曲がっているからだ!たたきなおしてやる」と、口より手のほうが早い先輩の中で、職場はいつもぴりぴりした雰囲気で包まれており、一瞬たりとも気が抜けない、しかし充実した場でした。「一度聞いたらちゃんと覚えろ、頭で覚えようとするからダメなんだ、体で覚えろ。自然と出来るようにならなきゃ、出来るとは言えないんだ」「俺達の時代は、先輩のやることを後ろから見て、盗むように覚えたもんだ」先輩達の叱咤激励を受けて、ただただひたすら上司や先輩の背中を見て追いかけていたように感じていた。そんな時代を振り返って、懐かしいと思うのも、定年が近いからだ、歳をとったからだと思い込むようにして、なるべく今時の若い者は・・と、考えないように努力していた。

「定年後はゆっくり女房と旅行でもしようと思っているんだ。旅行に行った後は、そうだなあ、すこしノンビリするよ」山崎さんは、定年後のことを聞かれるといつもそう答えていました。
定年後はゆっくり旅行をしようと思っているだけで、特には目標もない山崎さんを見て、三十代後半の三宅さんが、お昼休みに山崎さんに声を掛けてきました。
三宅さんは、コーチングというものを勉強しているらしく、何かというと横文字をよく使う社員で、理屈よりも体を動かせというタイプの山崎さんにはちょっと馬のあわない後輩で苦手でしたので、これまではあまり長く話したことはありませんでした。しかし、あと少しで定年だから、お礼の気持ちを伝えることも大切と思って、煙たがらずに三宅さんと話をしてみることにしました。
「山崎さん、もうすぐ仕事終わられるんですねぇ」
「ああ、三宅さんにも随分とお世話になりましたねぇ・・ありがとうございました」
「とんでもない山崎さん。僕たちは、山崎さんのお陰で、技術が身についたんです。厳しさもあったけど、山崎さんの懐の暖かさみたいなものが、私は好きで、甘えちゃっていたように思います。ホントにありがとうございました」
山崎さんは、三宅さんの言葉にふっと遠い昔を思い出していました。
(「そういえば、自分も厳しいけれども暖かい上司に、ずいぶんしごかれたなぁ・・。でも、厳しいだけじゃなかった。失敗したときも怒鳴られたけれども、上手くいったときには、自分のことのように喜んでもらえた。それが嬉しくって、おっちょこちょいの自分は、ずいぶん仕事に精を出すことが出来ていたような気がする」)山崎さんは、言葉には出さなかったけれども、暖かいものを心の奥に思い起こして、思わず目頭をおさえました。と同時に、(「それに比べて自分は今、どうだろう・・」)と、振り返る気持ちを感じていました。

三宅さんは、山崎さんの隣に腰を下ろして相変わらずゆったりと話しかけてきます。
「ところで山崎さん、山崎さんは退職後、どうなさるんですか?」
「いやぁ、これまで女房には迷惑をかけっぱなしてきたからねぇ・・。会社も忙しかったからね。会社がどんどん大きくなっていく、それに自分が貢献出来るのが楽しくて、そんなときには、家にも帰らず、ただひたすら社長やみんなと一緒に仕事をしてきたんだ。私も二十四時間戦ってきた企業戦士の端くれだよ。家のことは何もしないで女房に任せっぱなしだった。けれども、女房は、愚痴の一つもこぼさず家庭を守ってきてくれていた。こんなありがたいことはないが、今更口に出すのは恥ずかしいからね。旅行にでも連れて行こうかと、思っているんだ」

「いやぁ、それはいいですね・・。どちらへいらっしゃるご予定なんですか?」
「海外は初めてだから、心配もあるんだけれども、オーストラリアに添乗員が一緒についていってくれる旅行があるので、それに申込をしたんだ。十日間ほどの旅行でね。楽しみなんだよ」

「オーストラリアですか。いいですねぇ。十日間、奥さんに孝行されるんですねぇ」

山崎さんは、相変わらずゆったりと話しかけてくる。しかも、社内で言われているような横文字の言葉はほとんどなく、不愉快なものや緊張感はまったく感じられませんでした。更に三宅さんは話しを続けます。

「山崎さん、山崎さんの奥さんは、どんなご趣味をお持ちなんですか?我が家の女房は、パッチワークを習っていて、やれ今日は教室がある、やれ今日は展示会がある、やれ今日は先生のお宅にお招きいただいていると、しょっちゅう外出して、忙しそうにしているんです。山崎さんの奥さんも、毎日忙しくされているんじゃないですか?」

三宅さんの愚痴とも言えぬ言葉を聴いて、山崎さんはふと考えました。

(「我が女房殿は、どんな暮らしをしているのだろうか。わからない。そんなことなど考えたこともない。女房が毎日何を考えて、どういうことをしているのかを知らないなんて・・
これまでいったいどんな夫婦だったのだろうか?女房は何を考えているんだろう?熟年離婚?まさか、そんなはずは・・・・・?)

ふと不安がよぎった山崎さんでしたが、お昼休みの終わるサイレンにせかされて、「三宅さん、この続きはまたあとで・・・」後ろ髪を惹かれる思いで仕事にもどりました。

次回に続きます。

次回はさまざまな形でコーチングが出てきます。


竹内 和美

竹内 和美 (たけうち かずみ)
エイジング・アドバイザー®/世渡り指南師®/プロフェッショナル・キャリア・カウンセラー®/認定キャリア・コンサルタント/認定エグゼクティブ・コーチ
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