定年間近の先輩に対するお世話になった後輩のコーチングその2~後輩の言葉に将来のことを真剣に考えた先輩社員~人生の目標を見つける~
山崎さんは、三宅さんの言ったことが気になって仕方がなく、終業のサイレンがなると同時に、山崎さんは三宅さんに話し始めました。
「三宅さん、私は女房のことを何も知らないで生活していました。定年後は女房と二人の時間が長くなるわけだし、いまよりいっそう二人の生活が大切なものになるのに、女房が毎日何を考え、何をしているのかさっぱり分からないなんて、反省しなくちゃいけませんねぇ」と言う山崎さんに対して三宅さんは、
「いやぁ、山崎さん、案外奥様はこれまでの生活を楽しんでいらっしゃったんじゃないですか。それより、奥様は、旅行の具体的な計画のことご存知ですよね?」
「いやぁ、三宅さん、内緒にしてプレゼントしようと思っていてねぇ・・。まだ、はっきりとは言ってないんですよ。内緒のほうがいいでしょう?びっくりして喜ぶ顔を想像するだけで、毎日が楽しいですよ」
と言う山崎さんに三宅さんは申し訳なさそうに言葉を続けました。
「それは、奥様に早くおっしゃったほうがいいと思いますよ」
「え?どうして?」あまりに思いがけない言葉に山崎さんは、だんだん不安になってきました。
「退職後の生活設計は、どんなふうになさっているんですか?奥様と話されましたか?」
「いや・・何もまだ、具体的なものは話をしていない。でも、ゆっくりしたいと思うので、しばらくはずっとうちにいる生活になるかなぁ・・」
と言う山崎さんに、三宅さんはずばり!言いました。
「山崎さんが毎日ゆっくりなさるとすると、奥様はゆっくり出来るでしょうか?」
山崎さんは、三宅さんが何を言ったのか理解出来ず、不安になってしまいました。
「三宅さん、あなたは何が言いたいんですか?」
少し怒ったような口調になったことに気づきながらも、山崎さんは言葉を切り出しました。
「山崎さん、奥さんは毎日の生活を楽しむプロですが、山崎さんは、生活を楽しむための計画がまだはっきりしていませんよね?そうしたら、奥様は負担が増えるだけではないでしょうか?奥様にとって、家庭は職場でもあるわけですから、毎日お客様がいるような状態では、リズムも狂うでしょう。お昼ごはん一つをとっても、自分だけなら残り物で済ませるけど、ご主人がいたらそういうわけにもいかないわけです」
「それは、そうだけど・・・それでは、私はどうしたらいんだろうか。家事を手伝うといっても、それこそ向こうがプロで、私は、これまでまかせっぱなしだったから、まったくの素人なんですよ」
「そうですか、それでも、山崎さんは、この会社では、仕事のプロですよね。会社での役割はまだまだあると思うんですがいかがでしょうか?旅行は、十日間で終わってしまわれる。少しゆっくりなさったとしても、半月もすると、どうしようかと考えてしまうようになられるのではないでしょうか?山崎さんのご趣味を伺ったこともありませんが、もっと自分自身で生活を楽しむ設計をなさってから、退職なさるといいのではないでしょうか?」
三宅さんの言葉があまりにも唐突だったので、最初は驚くばかりだった山崎さんも、だんだん、三宅さんのような考え方もあると思えるようになりました。
「そうだね。三宅さん。私はもうくたびれた、後進のためにも、老兵は去るのみだと思っていたんですが、私の役割といったものを考えたほうがよさそうですね。ありがとう。君は、かっこいい横文字の言葉が多くて、私には近寄りがたいと思っていたんだが、率直に、私にはない考え方を示してくれたお陰で、女房のこと、ちゃんと考えてやれるような気がするよ。ありがとう。退職後のことも含めて、ちゃんと話してみるよ。我が女房とね」
数日後、ニコニコしている山崎さんに、また三宅さんが話しかけました。
「山崎さん、奥様と話をされましたか?」
「三宅さん、どうもありがとう。この間、君に言われてすぐに女房に旅行のことを話したんだ。そうしたら、賛成して喜んでくれたんだけど、『今度計画するときは、前もって相談して欲しい。私には私の都合というものがあるから』って言われたんだよ。これまでの私だったら、『うるさい。俺の言うとおりすればいいんだ』って女房を怒るところだけど、この前、三宅さんからいい話を聞いていたんで、おこらずに素直に女房の話が聞けたよ」
山崎さんは、この前の三宅さんとの会話から人の話をきちんと聴く「傾聴」の大切さを学び、すぐに実行したようです。
「そうですか。それはよかったですね。私もお話しした甲斐があったというものです」
「それでね、女房に言われたんだ。『お父さんは、会社に遣り残したことはないですか。今、こうして無事に定年を迎えられるのも会社があったからですよね。私もお父さんの会社に感謝しています。なんとか恩返しが出来ないものですかね?』女房からそう質問されて自分で考えてみたよ。『恩返しすべきですよ』などと詰問調で言われたとしたら、反発したんだろうけど、私に考えさせるような質問だったんで、素直に考える気になったよ」
山崎さんは、その後も三宅さんと話す時間をたくさん持ち、山崎さんは自分から再雇用に手を上げ、旅行は有休をとっていくという結論を引き出すことが出来ました。仕事については、役割を後進の育成にだけに絞られたそうです。また、家庭においての自分の居場所について、真剣に考え、町内会などを通じて地域社会に貢献したいと、奥様のネットワーク(人脈)を紹介してもらい、奥様とともに、地域美化清掃活動のボランティアを始められたり、地域の小学生に「技術」ってこんなに素晴らしいと、モノづくり教室の講師を始めると、人生計画を熱心に三宅さんに話したそうです。
山崎さんは、自分の人生にいつも自分のために使う時間がなかったことに気づき、今後は積極的に社会と触れ合いたいと、改めて三宅さんと話す時間を持ってよかったと、三宅さんに感謝の言葉を伝えました。
また、三宅さんも、山崎さんとの会話の中から「自分不在の人生設計」という言葉をヒントに、この後、キャリア・カウンセラーの資格取得を目標の一つに加えたとのことです。
コーチングは、「目標達成の支援」といわれますが、会話を通して、コーチ自身も新たな気づきを得られる魅力があるようです。
竹内 和美 (たけうち かずみ)
エイジング・アドバイザー®/世渡り指南師®/プロフェッショナル・キャリア・カウンセラー®/認定キャリア・コンサルタント/認定エグゼクティブ・コーチ
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