転職希望者へのコーチング~自分の気持ちに気づかせるためのセッション~

サービス業に従事して一五年。これまで一貫して販売の仕事を選ん出来た藤田さん。四〇歳を目前に控え、自分の将来を考えることが多くなりました。
販売実績は常に上位にあり、精力的に店舗を運営し、業務改善、人材育成、採用などの分野において、他の模範とされることが多く、実行力のある社員として重宝がられてきました。
藤田さん自身も、会社は同族会社の中小企業であってもやりがいがある。そこそこ、努力が認められれば、自分も役員を目指せると今までは思ってきたそうです。しかし、社長が代わり、新社長の考えが自分とは合わず、このごろは、部長の態度も変わりはじめ、見切りをつけた社員は退職を始めたそうです。藤田さんもこのまま会社に残って、本当に生き残れるか真剣に考えたほうがいいと、辞めた同僚からアドバイスを受けて以来、自分の将来について考えてきたそうです。
転職すべきかどうかをテーマに、コーチングのセッションを始めて五回目に、やっと自分の気持ちを素直に受け入れた藤田さんとのセッションです。

「お疲れ様です。今日もぎりぎりまで、お仕事から離れることが出来なかったのですか?」
「はい、転職しようかと迷っている自分の気持ちは、自分の問題であり、それはそれとして、会社で仕事している以上、会社では今までどおりの成果を挙げなければならないと思っています。だから、率先垂範で自分がまずは動くことで手本を見せようと思っています」

「なるほど、ビジネスパーソンとしての誇りをもっておられることを感じます。ところで、転職先について、前回、絞込みをしてみてくださいという宿題をお出ししていたと思いますが、いかがですか?」
「はい、やはり、中小企業診断士を目指そうと思います。その足がかりに、異業種への転職を果たし、その仕事をしている間に資格を取ろうと思います」

「そうですか。異業種の・・と、前回もお話の中で伺いましたが、具体的には、どんな業種へ転職しようと思われましたか?」
「はい、これまでの経験の転用が可能だと思い、医療器具メーカーにします」

「医療器具メーカーですね? 理由を伺ってもよろしいですか?」
「はい、医療の分野は、今後の超高齢化を考えれば、ますます需要が高くなると思います。そうなれば、当然、医療器具の開発も盛んになることでしょうし、その営業は、熾烈を極めると思います。これまでは、販売していたものが、スポーツ用品だったり、洋服、雑貨だったりしたわけですが、今後は、医療器具を販売しながら病院の経営などを勉強し、病院経営のコンサルティングも出来るようにしていきたいと考えたからです」

「なるほど、病院経営を勉強するためにも、医療器具メーカーの社員となって、病院経営に関する情報収集をしたり、相談に乗ったりしたいということなのですね?」
「はい、効率よく会社を運営した経験を転用すれば、それは可能だという自論を仮説に基づいて検証してみたいと思いました。経営コンサルタントとして、どんな領域でも仕事が請けられるようにしたいということです」

「なるほど、そのためには、資格はもちろん、実務経験が必要だとお考えになったのですね」
「はい、ですから、今後は三~四年に一度、戦略的に転職をして、さまざまな分野の仕事を経験しながら、コンサルテーションの種を見つけていこうと思います。机上論ではない、実務経験に基づいた指導やアドバイスが出来るようであれば、社外取締役のように重用されるのではないでしょうか?」

「なるほど、そうすると、独立までに何年の計画をもっておられるのでしょうか?」
「今、四〇歳と仮定して、六〇歳が独立の年。二〇年間で、六・七の実務を経験出来ますね。その分、専門領域の広いコンサルタントになれると思うんです。今の会社の経営コンサルタントは、新社長にいろいろなアドバイスをしているようですが、現場を預かる自分たちからしたら、ずいぶん、現実的ではない指導があると感じているんです。経営コンサルタントとしては有名な人らしいですが、うちの会社にはこれまでの伝統や社内風土があって、すぐに変化させられないという事情があります。それに、現場を知っているのは、自分のような店長たちです。自分たちの意見も聞かずに一方的に指示されても、受け入れられないことはたくさんあるんです。だからこそ、自分は、実務を経験し、一線の視点でコンサルティング出来る人を目指そうと思ったんです」

「転職し、新たな環境の中で、資格取得を目指すということは、とても大変だと思いますが、両立させるための心構えは出来ましたか?」
「はい、時間をうまく分けようと思います。休日出勤はせず、残業も控えてビジネススクールに通う時間を確保しようと思います」

「新しく入ろうとしている医療器具メーカーの実情をお調べになりましたか?」
「いいえ、でも、どこの会社だって、今は長時間労働を控えようという動きがあるはずですし、残業は習慣化しているだけなので、自分は入ったときから残業はしない人だというイメージを作れば、さほど苦しい思いをしなくても帰れると思います」

「うん・・・藤田さん、一つ、今、感じていることを申し上げてもよろしいですか?」
「はい・・」

「正直申し上げて、今の職場への怨嗟が転職したいという気持ちになっていると思います。医療器具の販売は、ますます熾烈化しており、業界全体が厳しい競争をしています。残業をしないで帰るというのは現実的ではありません。もっと業界研究をしなければ、早晩、早期離職に追い込まれてしまいますし、経営コンサルタントになるために、報酬をいただきながら、自論をまとめる検証をするという姿勢では、同僚や先輩とうまくコミュニケーションが取れなくなると思いますがいかがでしょうか?あなたが医療器具メーカーの社長さんだとしたら、そんな腰掛的な人を採用しようと思いますか」
「・・・・」

「どうぞ、ゆっくりお考えください。厳しいことを申し上げますが、転職は今後の人生をどう描くかにおいて重要な要素です。一時の感情や考えで結論を出さないほうが良いと私は考えます」
「・・・たしかに、認められなくなって悔しいという気持ちが強くて・・」

うつむいたきり、藤田さんが沈黙を続けたので、セッションを早めに切り上げ、次回セッションの日時を確認して終了しました。
自分の気持ちを晴らすために転職しようとしていることに気づかせようとコーチングを組み立てました。
当事者は、常に自分のことで精一杯になります。コーチは、その気持ちを受容し承認しながらも、常に冷静に、客観的な立場で、社会的に考えるとどう見えるのか?と伝え、新たな考えを持つ視点を与えるという重要な役割を果たします。
厳しい意見を伝えるには勇気がいりますが、クライアントの良き理解者であり、良き支援者であるために、恐れず行動することが大切です。


竹内 和美

竹内 和美 (たけうち かずみ)
エイジング・アドバイザー®/世渡り指南師®/プロフェッショナル・キャリア・カウンセラー®/認定キャリア・コンサルタント/認定エグゼクティブ・コーチ
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