定年間近の部下とのコミュニケーションに悩む課長さん(その2)~部下とのコミュニケーションを拡大し自分に気づく~

水野さんは、コーチとの会話に心が馴染むのを覚えながらも、こんな世間話をするためにこの時間を使うのはもったいない・・と考え始めた矢先のことだったので、改めて、コーチの話の転換のタイミングの良さに驚きを隠せず、ついつい本音で語ってしまいました。

「そうなんです。先生と話しするのは、とても楽しいんですが、私は、そんな世間話をするためにここへ来たのではありません。ちょうど、今、この時間がとても無駄に思え始めていたんです。こんな世間話は、職場では必要がありません。職場は、仕事をする場所であって、楽しみを見つける必要はないんです。私たちが立てた生産計画にのっとって、粛々と仕事をすればいい場所なんです。技術が売り物の会社ですから、技術の伝承は大切な任務。定年退職を迎える職人の技をいかに後輩に伝えるか、それを今後の生産計画に盛り込まなくてはならないのですが、初めてのことなので、どんなふうに計画を立てればいいのか、それが分からなくて悩んでいるんです」。とうとう、水野さんは、本心をコーチに話すことが出来ました。

「水野さん、よく決心して話してくれましたね。
その勇気に感謝します。ありがとうございます」
水野さんは、コーチから感謝の言葉をもらい、照れるように言いました。「いや、そんな。これは私の問題で、私が話すのは当たり前のこと。礼を言われるのは照れますね」

言いながらも、表情がはじめて穏やかになったことをコーチはすかさず指摘しました。
「水野さん、さっきはどうしようと思っていましたけど、今の水野さんは生き生きとしていてとても穏やかな表情になられましたね。つい先ほどまではよろいをきた鉄火面のようでしたね。
ところで、水野さん、水野さんにとって職場は生産性を上げる現場そのもののようですが、部下や後輩、同僚はそう感じているのでしょうか?」とか、「水野さんのその厳しい仕事への姿勢を、みんなはどう感じているのでしょうか?」と、水野さんの仕事をする姿勢について、どんどん質問を投げかけました。
これまで自分は一生懸命仕事をしてきたと自負している水野さんにとっては、意外な質問ばかりです。

同僚や部下には、いつも弱みを見せてはならないと肩肘張って強い自分を見せていることで
管理職としての威厳を保っていた、良く頑張ったものだと、コーチの質問に答えながら水野さんは改めて感じていました。

そんな水野さんの心が伝わったのか、コーチは「管理職としての職務を全うするのに全力投球だったんですね。水野さんの努力には頭が下がります」と、褒めてくれました。

「部長や役員も、仕事は出来て当たり前。ちょっとミスすると、“どうした水野らしくない・・”と声をかけてくれたりフォローしてはくれたりしますが、褒められるってことがぜんぜんなくて。社内の人じゃないけれども、褒められると、なんだか嬉しいですねぇ」と、照れるように微笑む水野さんに、コーチは更に尋ねます。
「上から褒められたことがない。私に褒められてうれしいと言われていますが、水野さんは、部下を褒めたことがありますか?」

「またまた厳しい質問ですね。褒めることはありません。仕事は出来て当たり前ですから。若手は、失敗の連続で褒めようがない。ベテランの職人は褒めても嬉しそうにはするけど、だからといって生産性をあげてくれるわけじゃない。だからいつの間にか、褒めることを忘れていたような気がします」
「褒めるにも技術が必要なんだということを、ご存知ですか?」

「褒める技術ですか?そんな技術って、何だかごまかしの様でいやだなぁ。褒めるんだったら心から褒めたいですね。なにかをねらって褒めるのはいやだな」
「ごまかしですか。そうですね。確かに、人を気持ちよくするだけなら、ごまかしの技術でしょうね。でも、褒めるには褒める理由があるという褒め方や、自分の思ったことを言葉にして伝えるという褒め方だったらどうですか?それもごまかしでしょうか?」

「いや、褒める理由を伝えるというのももちろんですが、自分の思ったことを言葉にして伝えるという褒め方には興味がわきました」
「水野さん、これからの労働環境では、若手の自発的行動や自立を促しながら、職人を育てることが重要だと私は考えています。もしよかったら、コーチングを学んでみませんか?褒める技術についても、もちろん学習していただきます。社内のコーチ養成制度をご存知ですよね?」

「はい。知っています。管理職は誰でも、望むものは手を上げてもいいと聞いています。これまでは、人をどうやって管理するかということよりも、業務をどう管理するかが自分の仕事だと思っていたので、私のような部署の管理者には不要な学習だと思っていました」
「そうですね。サービス業とか、小売業に必要なスキルだと誤解している人は多いですね。でも、職場に一人以上、自分以外に人がいるのであれば、コミュニケーションをとりながら業務を遂行していますね。そうなれば、コミュニケーションを上手に図ることによって、ストレスもなく、業務遂行もスムーズに運んだほうがいいですよね。コミュニケーションをリードすることは、管理職者に求められる能力の一つになってきたんです。ぜひ、部下のやる気を引き出すコーチングの勉強をしてみましょう」と、コーチに強く勧められた水野さん。仕事の終わった夜に会社で行われているコーチ養成講座に参加され、そこで学んだことをすぐに実践しているそうです。

現在は、定年退職まで残り六ヶ月の部下の技術を、職人の卵である若手に伝授する方法を、職人と相談しながら、急ピッチで進めているそうです。
職人肌の部下は、職人にありがちなタイプで無口でありため、自分の気持ちを語ることはありません。しかし、自分の技術には強い自信をもっており、自分を育ててくれた会社のために、何とかこの技術を伝承したいと常々思っていたそうです。しかし、水野さんは、部下を寄せ付けない雰囲気を持っており、水野さんに話をしても取り合ってもらえないんじゃないかと思って、部長に何度か訴えていたそうです。

水野さんは、コミュニケーションを学ぶことによって、部下との会話の質や量を拡大させたことによっ、定年間近な無口は職人先輩社員の気持ちを知ることが出来たそうです。
今では、技術者と管理者二人三脚で技術の伝承をしようという計画は、順調に進められているということです。お互いの誤解から生じているコミュニケーションのもつれが、コーチングによってほぐされていきました。コーチとしては、なにより嬉しい結果です。


竹内 和美

竹内 和美 (たけうち かずみ)
エイジング・アドバイザー®/世渡り指南師®/プロフェッショナル・キャリア・カウンセラー®/認定キャリア・コンサルタント/認定エグゼクティブ・コーチ
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